部活動は、「勝つため」?「楽しむため」?

部活動の矛盾点

今、現在運動部の顧問を担当しているが、考えれば考えるほど、部活動の矛盾点が明確になってくる気がします。

今回は、部活動の捉え方に対する矛盾点について。

 

部活動の捉え方には、様々なものがあると考えられますが、大きく2つに分けてみます。

①スポーツの競技力向上のための部活動(試合に勝つための部活動)

②教育的配慮の下、生涯体育という視点の部活動(スポーツに親しむための部活動)

 

①について。

中学校では、中体連が中心となった大会や、教育委員会が中心となった大会が行われています。

そのため、生徒、保護者ともに、これらの試合で勝って、良い成績を収めたいという要求が出てきます。

そのためには、顧問も勝つための練習や指導を行わざるを得ません。

「勝つため」という理由で、様々な厳しい練習が繰り広げられます。

 

②について。

一方、部活動は「教育活動の一環」という位置付けがあります。

そのため、生徒自身の心身の成長を願って、指導を行います。

例えば、挨拶、敬語、練習への態度、学校生活の態度などについて、指導を行います。

特に、スポーツを楽しみ、一生続けていけるように、活動を行います。

 

そのような中、この①、②が場面に応じて、都合の良いように解釈されてしまうことが、最大の問題点だと思います。

私の担当する部では、生徒指導上のトラブルが起こりました。

その時、①の視点から、「もっと、勝つための指導をしていれば、こんなトラブルは起こらなかった」と言われました。

また、別のときには、②の視点から、「部活動は、生涯スポーツという観点も考えないとダメだから、生徒に寄り添った練習をしないとダメ」と言われました。

 

私は、これを言われた時、とても矛盾を感じました。

私は、どちらかというと、②の視点で指導を行っていました。

公立校で、部活動をすると、お金をかけずに、スポーツができるのが、大きなメリットであるからです。

それに、もっとスポーツで活躍したい人は、外部のスポーツチームに所属して活躍すればいいと思っています。

しかし、大会は、中体連の大会がどうしても重要な位置付けです。

だから、矛盾が起こる状態に今は、なっていると思います。

部活動改革を進めるために、まずは、部活動の位置付けを中途半端なものではなく、はっきりさせる必要があります。

また、スポーツの捉え方に違いによって、生徒が居場所を選べる環境づくりが必要です。

 

今回は、部活動の位置付けによる、矛盾点について、書いてみました。

アドラー心理学

アドラーは本当にすごい。

アドラーが言っていることは本当に正しい。

今日、特にすごいと思ったのは、劣等感の話。

私が恋愛に臆病な理由をそのまま指摘していた。

25年間、彼女なしの私にとって、恋愛の話に対して、警戒心を持っていることをそのまま言い得ていた。

私は、恋愛の話になると、自分が今まで恋愛経験がないことを言わなければならないと思っていた。

私はそのような話題もないので、「秘密」と言ってごまかしてきた。

つまり、恋愛経験がないことを知られるのが怖いのだ。

だから、自分のことは話さない。否定されるのではないか、引かれるのではないかと心の中で思っているからだ。

否定されたり、引かれないために、自分のことは語らないし、誤魔化すのだ。

結局、アドラーが言う目的論に戻ってきた。

自分の行動は、目的があって選択しているのだということがわかった。

それを乗り越えるヒントとなりそうなのが、「人は変われる」「現在の自分は過去の自分と関係がない」「自分を受け入れる」ということだ。

まだ、このヒントがどう活用できるか、想像はできていない。

だから、これからさらにアドラー心理学を学び、考えていきたい。

ああ、アドラー心理学。とても面白い。

 

 

アドラー心理学

アドラー心理学の「嫌われる勇気」を読み始めた。

冒頭から、ワクワクする内容からスタートする。

原因論と目的論の違い。

本当に衝撃的だった。

不登校は、学校へ行かないことが目的で、「家を出られない」という原因を自分で作っているのだと。

衝撃的だ、そんな風に考えたことがなかった。

学校へ行かないために、様々な理由や状況を自分で作っているのだという。

必ずしもそうとはならない状況もあると思うが、この考え方でいくらか変わることはたくさんあるような気がした。

本当にワクワクしてきた。

これを読み終わったら、自分がすごく成長し、変わっている気がする。

今までになかった考え方を持った自分になれると感じた。

アドラー本当にすごい。

そして、それにいち早く知っていた、私の師匠はさらにすごい。

頭が上がらない。松島先生本当にすごい。

年度が変わってから、連絡していないなあ。会って一緒に研究会に出かけてみたい。

師匠の隣で、もっと話を聞きたい。

 

中学校の職員室

うちの中学校の職員室はつくづく過ごしにくい空間だと感じた。

先日、同じ校区の小学校の若手の先生たちと飲む機会があった。

初めてのことだったので、いい出会いがあればいいなあと思いながら参加してみた。

風邪を引いていたので、お酒は我慢したのだが。

 

話を聞いていると、小学校の先生の帰宅時間がとにかく早かった。

ほとんど先生は18時台に退勤できているという。

19時まで残っていると珍しく扱われるらしい。

そんな話を聞いて、大変驚いた。

うちの中学校では、ママさん先生でない限り、ほとんど教員は21時まで残っている。

18時台に帰れる日なんてほとんどない。

小学校とは大きな違いである。

 

職員会議のあり方も全く違った。

その小学校では、職員会議の案件に対して、多くの先生が意見を言うそうである。

「案件を通すまい」と息込んでいる先生もいるらしい。

案件が差し戻しということもある。

中学校では、職員会議は儀礼的な感じで、案件はすぐ流れる。

たまに引っかかる時はあるが、ほとんどない。

引っかかれば、時間がかかるからである。

それも大きな違いだが、職員会議のあり方には最近思うことが多々ある。

全員参加で会議できているのは良いことだと思うが、学校はそれ以上に仕事がある。

一つの仕事に関わっているわけではない。

職員会議までに分掌で案が練られた上で、出てくるので、それを尊重するべきではないかなと思う。

何のための分掌なのかよくわからない。

割と分掌はまとまっているが、学年団の反対にあったりする。

今のうちの中学校は、何でも全員一致を求めている風潮があるような気がする。

それではなかなか進まないことが多い気がする。

会社では会議はどうなのかなあ。

会議の仕方について、勉強する必要性も感じた。

 

最後に、小学校の先生と中学校の先生は、付き合い方も違う気がした。

小学校の若手の先生たちは、大学生みたいなノリで付き合いがあるような気がする。

初対面で話さないような話題も私に降ってきて驚いた。

中学校の若手の先生たちは、大人の距離感でお互いのことを徐々に知るような付き合いをしていると感じた。

言いたくないことは言わなくてもいいし、誤魔化してもいい。

逆に突っ込んだ話題について、踏み込むことに丁寧になっている。

私は中学校の先生たちとの付き合いの方が、どうも性に合う。

思いやりを感じる。

全ての小学校の先生がそうではないと思うので、語弊が生じるだろう。

 

うちの中学校の改善するべきところが色々見えてきた。

職員室の雰囲気をまず変えてみたい。

そのために、自分がまず関わることを今年の目標にしたいと思う。

 

林修先生の初耳学

リフレッシュのために、外食とカラオケに行き、帰ってきた時にテレビをつけたときに、林修先生の番組がやっていました。

内容は高学歴ニートに林先生が授業をするというものでした。

短い時間しか見れなかったのが、残念だったが、とても印象に残ったエピソードがありました。

それは、

 

「やりたいかどうかは偶然」

 

「やりたいか、やりたくないかで選ぶのではなくて、できるか、できないかで選ぶ」

 

という言葉を紹介されていました。

すごく今の自分にビビッときました。

授業を考えるときに、時間がかかるほど、「やりたいかどうか」で学習活動を決めていた自分に気づきました。

そうではなくて、「子どもたちが。できるかできないか」で学習活動を考えていけばいいのだと気付きました。

もちろん、子供達の可能性を広げるためには、大人の考えも必要かもしれません。

しかし、最後は授業は子供のためにするのです。

子供ができるようになれなければ意味がないでしょう。

そんな大切なことに気づかされました。

 

同時に自分の人生のあり方についても考えさせられました。

今、人生のあり方に悩む自分がいます。

その中で、「やりたいかどうか」で考えている自分がいました。

「できるかできないか」で考えることもとても大切だと気付きました。

「やりたいかどうか」って本当に偶然だと思いました。

教育大学出身で、教育という環境にいたから、今学校という現場にいるのだと思います。

そうではなかったら、違う環境にいたことでしょう。

自分にできることは何なのか。自分にできないことは何なのか。

改めて考えてみたいと思いました。

 

2019年思いを綴り

2019年、のんびりとブログを始めてみようと思います。

何か思ったことを書き綴るものにしていきます。

教育関連や寺社仏閣、映画関連などがテーマになっていくのではないでしょうか。

まだ、未定。とりあえず始めてみようというのが、今回の大きなきっかけです。

 

さて、明日から本格的な仕事始めです。

冬休み中に授業準備や指導案作成など様々なことをしなくてはならなかったけど、全くすることができませんでした。

後悔しても仕方がないので、これから少しずつ準備をして明日を迎えます。

それでも、実家でゆっくりして、地元の友達と深夜スマブラして、遊びまくりはしました。

切り替えて、頑張ります。

 

1月は、研究授業と合唱祭、クロスカントリー大会、平和学習と盛りだくさんの月間です。

やることがたくさんあるので、一つずつ取り組んでいくことが必要だと感じています。

にしても、教師の仕事の多さはどうにかしないといけないと思います。

どう考えてもキャパシティオーバーです。

文科省では働き方改革ガイドラインが完成に近づいています。

ただ、学校現場では全くの無風です。

これはかなり危険な匂いがします。

現に、すでに校内で何人かの先生が、次年度は教師を継続しない意向である噂を聞いています。

自分の近くでも教師不足の波が大きく襲ってくるでしょうか。

そうならないように、業務量の大幅な削減を今の学校、校長には求めたいものです。